コラム・岩井の好きな映画 vol.41「ファンタスティック・プラネット」

シアタービューフクオカで絶賛連載中のハイバイ・岩井秀人氏のコラム「岩井の好きな映画」。本誌と併せてお楽しみください!

ハイバイ・岩井秀人コラム【岩井の好きな映画】vol.41  「ファンタスティック・プラネット」

いきなりですが皆様、「活け造り」って、楽しく食べられますか?
20代の頃、友達の女子と和食屋さんに行って鮎だかなんだかの活け造りをその子が頼んで、いわゆる「刺身」と「骨に頭だけついた物体」にさせられた魚が出てきたんです。僕は僕で引きこもりから脱出したばかりというのもあってか、ピクピク痙攣している魚の頭部を見ながら笑顔のその子に合わせて「わ~…すごいね…」と言うことしか出来なかったんですが、その子、今度は箸でもって頭部から繋がってるほとんど身のついてない骨の部分をグシグシ突っつく訳です。もう魚の方の意識はきっとこの世になかったとは思いますが、それでも条件反射と言うか、その子が箸で突っつくたびに「ビクゥ!!ビックゥ!」と動き、口をバクバクするんです。それを見てその子は心底嬉しそうに「わ~!新鮮~!」って言ってて、僕は口をパクパクする魚を見ながら「これに喜べない自分は、おかしいんだろうか。それともやはり、この子がおかしいんだろうか」なんてことを暗澹たる気持ちで考えていた訳です。

このことを思い出すと芋づる式に思い出す映画がありまして、「La Planète sauvage(邦題:ファンタスティック・プラネット)」という、確かフランスのアニメだったと思うのですが、宇宙のどこかにある星の物語で、巨大な「鬼」(サベージ)が人間を家畜として扱っている世界が描かれています。
この世界では、我々人間が現実世界で牛や馬の皮を剥いで衣服にしたり、鳥の体をバラバラにして油に放り込んで食べたり、子にやるための乳をしぼって飲んだり、ということを、鬼が人間を使ってするわけです。この「現実世界で人間が他の動物に行っている所業」を逆に「我々人間が『やられる側』になったとしたら」という変換は、凄まじいパンチがあった訳です。

人間の男女が、原っぱで仲良くしています。そこに「鬼」の子供が現れ、人間を捕まえようとします。まさに子供が「虫」を捕まえるように、ただ純粋に手を伸ばし笑顔のまま、握りつぶさんとばかりに追いかけ回します。人間はそれこそ必死になって逃げ回ります。

食用の人間は、「鬼」がよりおいしく食べられるよう、ある植物だけをずっと食べさせられ続けます。お腹がいっぱいでも、口を開けて植物を押し込まれます。「肉をやわらかくするために」と口にビールを流し込まれる牛みたいに。他にも、先に書いた活け造りの様に、生きたまま焼き、その様子を見て「鬼」たちが喜んだり、人間の腹を開いて、そこに野菜やら人間自身の手足や内臓を調理したものを詰め込んで食べたりします。全て、人間が他の動物相手にやっていることです。「プラネタ・サベージ」は、結局救いのない物語だったように思います。が、そりゃ救いようなんてないわけです。ある視点からの事実な訳ですから。

ただこれは、「人間とそれ以外の生物」という軸だけじゃなくて、同じ「人間同士」でも起こりえる「反転の視点」だとも思う訳です。「取る側」と「取られる側」が、いつからか決定されていて、そのことに疑いを持たないでいることは、あらがうことが出来ない、訳も分からず骨をむき出しにされた側の痛みを想像せずにグシグシ突っつくのと、あまり変わらないことの様に思うのでした。

いわい ひでと/1974年生まれ。劇作家・演出家・俳優、ハイバイのリーダー。「ある女」で第57回岸田國士戯曲賞を受賞。
コドモ発射プロジェクト「なむはむだはむ」2月18日〜3月12日@東京芸術劇場シアターウエストにて。

http://hi-bye.net/

◎シアタービューフクオカ vol.65掲載(2017.2発行)

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