竹井亮介の人生ドリル vol.13
舞台をはじめTVやCM等でも活躍中の竹井亮介さんのコラム。本誌と併せてお楽しみください!
vol.13
私は家の中で妻のことを「お母さん」と呼んでいます。今は小3になった長女が赤ちゃんだった頃、「ママ」「パパ」よりは「お母さん」「お父さん」がいいよねというような話を夫婦でしていたからです。でも子育てなんて思った通りに運ぶわけもなく、長女は妻のことを「ママ」と呼び始めました。おそらく保育園に通っている間に、周りのお友達のほとんどが「ママ」と呼んでいたからなのでしょう。そして妻もそれに合わせて、自分のことを「ママ」と呼ぶようになりました。もちろんいいんです。それはいいんです。問題は、長女が妻を何と呼び、妻が自分のことを何と呼んでいるかではなく、長女に合わせて「ママ」という呼び方に変えられない私の方なのです。
かつて、子供だった私は、母親のことを「ママ」と呼んでいました。おそらく小3くらいまで。ところがある時、周りの友達が「お母さん」と呼んでいることに気付き、さりげなく、それでも勇気を持って「お母さん」に変えることに成功したのです。なんなら同じようなタイミングで、「僕」を「俺」に変えてみせました。この時の私は、自分の中の大人への階段を、何段も上がったような気分でした。空が近くなったような、見晴らしがよくなったような、とにかくなんとも言えない清々しさを感じていました。
それから数年経ち、もっとも多感な時期を迎え、順調に反抗期を謳歌するようになります。とは言っても、かっこいいワルになるわけでもなく、ただ家の中で何かにつけて怒るくらいのかわいいもの。典型的な内弁慶。家の中でだけ、心の中のナイフを鞘から抜いて振り回し、どんないがぐりよりもトゲトゲしい態度で触るもの皆傷つけた(概ね家族のみ)、そんな中学時代、幼馴染のお母さんからこんなことを言われます。「亮ちゃん、ママ元気?」と。はぁ〜?うっせぇうっせぇうっせぇわ!「ママ」じゃねぇんだよー!とは、もちろんならず、ただただ恥ずかしくて赤面し、俯くのみの内弁慶。その姿、まるでチェリー!そう!心も身体もチェリーボーイですよ!
その時の恥ずかしさが今も忘れられず、妻を呼ぶときには「ママ」ではなく「お母さん」となってしまっているのではないかと思うのです。セリフだったら言えるのに。
いつまでも 続く私の 中2病(五七五)
あぁ、人生って難しいですね…。
●たけい りょうすけ/早稲田大学在学中は、劇団「木霊」で活動。卒業後は様々な舞台を経験し、1999年、コントユニット親族代表を結成。ぽっちゃりとした見ためを活かした朗らかなキャラクターを演じると、場を和ませ、画面が一気にあたたか味を帯びる。その安定感は、各方面の監督からも信頼が厚い。
◎シアタービューフクオカvol.90掲載(2021.5発行)