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木ノ下歌舞伎『義経千本桜―渡海屋・大物浦―』 木ノ下裕一インタビュー

INTERVIEW

終わりなき戦いのなか、甦る幽霊(ひとびと)の声──
今が昔に、昔が今に 現代をえぐる〈逆襲劇〉復活。

京都を拠点に、現代における歌舞伎演目の可能性を検証・発信する「木ノ下歌舞伎」。歌舞伎演目の歴史的な文脈を踏まえ、その普遍性と同時代性を描く作品を創作し続けている。あらゆる視点から歌舞伎にアプローチするため、主宰である木ノ下裕一が指針を示しながら、さまざまな演出家によって作品を上演。

今回は、歌舞伎三大名作の1つであり、木ノ下歌舞伎では2012年の初演以降、再演を重ねた代表作、『義経千本桜―渡海屋・大物浦―』をもって、久留米シティプラザに登場する。

本作について、主宰の木ノ下裕一にインタビュー。古典作品の面白さや木ノ下ならではの物語の読み解き方を語ってくれた。

■まずは……木ノ下歌舞伎は、木ノ下さんが古典作品を現代口語の作品として、監修・補綴(ほてつ)をされていますよね。歌舞伎作品を現代に置き換えて作品を作ろうと思ったきっかけは?

木ノ下裕一:古典芸能を観るのが子供の時から好きで、色んな理由が後付でたくさんでてきてしまって、今となっては何がきっかけだったのか、自分でもわからなくなってきているんですけど(笑)

古典芸能は、数多く観ているとだんだん意味が解ってくるんです。この作品はこういうところが面白いとか、でも一回観ただけでは、どこが面白かったのかをキャッチしきれないところもあるんです。
例えば友達と観に行ったとして「あれはゆっくり歩いているけれど、実は何百メートルも移動しているんだよ」とか「あの言葉はゆっくり喋るから聞き取りにくいけど、実はすごく韻が踏まれてて凝った文章なんだよ」とか、そいういう部分を説明したくなるんです。

僕が知り得ていることを直接説明したくても、限られた友人にしか伝えられない。だったら現代の手法を通して、翻訳し直したら、色んな人がもっと古典を解るようになる。そういう気持ちがあったと思います。自分が面白いと思った古典作品をどうやったら人に解って楽しんでもらえるか、ということに興味があったんだと思います。それが衝動的なきっかけの一つです。

もうひとつ、例えばシェイクスピアを日本語で上演するとかはよくありますが、日本の古典を再演出して新しく上演するということは、まださほどメジャーではないですよね。シェイクスピア作品を新演出でやる若い演出家は沢山いるけど、「勧進帳」をやる演出家はあまりいない、みたいな(笑)。

それはとても興味深い現象で、西洋だとオペラの新演出にしてもギリシャ悲劇の新解釈にしても、古典作品を新進気鋭のアーティストが新しくしていく試みはたくさんあるのに、日本はどうしてそういうことがもっと盛んに起こらないのかなと思っていて。もちろん、そんな中でも偉大な先人たちはいらしゃって、蜷川幸雄さんやク・ナウカの宮城聡さん、鈴木忠志さんや花組芝居の加納幸和さんたちが刺激的な日本古典作品のアップデートを企ててきてくださってます。でも、演劇界全体からみればまだ一部にとどまりますよね。それがもったいなと思っていて。

とはいうものの、シェイクスピアをやるように日本の古典をやるというのは、実はすごく難しいんです。西洋の古典とは違って、日本の古典は、戯曲以外にも、演技体や演出、身体性や音楽も一緒に伝承されていて、つまり、まだ“本家”が同時代演劇として健在なので、それも踏まえないといけない。一筋縄ではいかないことばかりだけど、だからそこ、かな、そういうチャレンジがもっとたくさんあってもいいなと思っています。

■すごくよくわかります。でも「義経千本桜」にしても「勧進帳」にしても、古典歌舞伎というのは、地方にいると一年に一回観るかどうか、みたいな。何年かかけて作品を理解しかけるのですが、常に観られることはないので、作品との距離的が近くなったと思ったら遠くなったりしてしまう部分もあると思います。

木ノ下裕一:僕も和歌山市出身なので、よくわかります。私の場合は、小学三年の時に、偶然、町内の催しで上方落語を見て、沼にハマり、そこから古典芸能全般に興味が広がっていったのですが、当然、東京や大阪のように気軽に古典芸能に触れられる環境にはなかったです。でも、今振り返ると、逆によかった面もあるなぁと思います。限られているからこそ、一回の機会を大切にするし、そのあと、ずっとその演目や芸能について考えることができる。図書館に行って調べたり、自分なりの見解や解釈を見つけたり。そうやって、観に行けない期間をどう工夫して楽しく過ごすかを考えるじゃないですか。好きなものを好きなだけ観れていたら、きっとそれにかまけて、立ち止まってじっくり深めるなんてことはしなかったと思う。地方という環境だから深められることは、きっとあると思います。

■これまでたくさんの古典芸能をご覧になっていた中で、「義経千本桜」を木ノ下歌舞伎の作品として上演しようと選ばれたのはどうしてですか?

木ノ下裕一:木ノ下歌舞伎は、外部から演出家に来ていただいて作品を作っていて、「義経千本桜」は、多田淳之介さん(東京デスロック)に、「勧進帳」は杉原邦生さんに演出を手掛けて頂いています。

上演作品を決める時は、まずは演出家に合う演目で決めることが多いです。その演出家が普段から表現していることと古典の演目がどういう風に合致するかを考えています。

多田さんの作品は、常に同時代に問うような、今だからこそ、この作品を上演している、というような芯の強さが魅力です。私たち現代の観客を直接突き刺しにくるような鋭さと、演劇の遊戯性(エンタメ性)のバランスも絶妙なんです。それらのアーティスト性が生かせる演目はなんだろう……というところから考えました。で、「義経千本桜」がいいだろう、と。

「義経千本桜」は2012年に3人の演出家で通し上演しているんです。その時から多田さんには「渡海屋」と「大物浦」を受け持っていただいてました。他の幕は、杉原邦生さん、白神ももこさんにそれぞれご担当いただき、多田さんには、全体を統括する総合演出も担っていただいたんですね。2012年は東日本大震災の翌年ですよね。

震災の様々なことと「義経千本桜」の物語というのが、オーバーラップするのではないかと思って、お願いしたのですが、やはり多田さんもそのつもりで演出してくださったんです。
海の下に都があって、女たちがどんどん海へ飛び込んでいくシーンでは、特に色んなことを感じさせてくれて、それはすごくよかったんです。その後、2016年に多田さん演出の「渡海屋」「大物浦」だけを、単独で上演したいと考えました。それが今回のツアーの原型になっていますが、2016年というのは、戦後71年の年でした。戦後70年の時は、戦時中や戦後をどう振り返るか、戦争の負の遺産を現代人がどう向かい合っていけばいいのか、について様々報道されていましたし、同時に、歴史修正主義の動きもでてきましたよね。

「義経千本桜」は、天皇制の話でもあるんです。源氏と平家が争っている。その中間には常に天皇や上皇がいるわけです。この物語の中にも安徳天皇が中心的な人物として登場しますよね。安徳帝が居るから、ドラマとして大きく膨らむし、筋が複雑にもなります。その上、安徳帝は幼過ぎて実行力を持たない。その力を持たない天皇をめぐって、源平が争っているというのは、近代の戦争をも彷彿させる。しかも最終的には、天皇の一言で戦争がおさまってしまう。善し悪しではなく、日本にとっての天皇制の問題が浮き彫りになる演目でもあるんです。そこがちゃんと意識されるような作品になっていて素晴らしかったんです。なので作品を選ぶ時は、今、どういう時代で、どの演目でどの演出家なら、現代に対して何が言えるか、演出家の個性を加味して考えています。

 

古典芸能は、日本の歴史アーカイブ
自分が今生きている世界と、全く違うということではない

 

■今回の見どころはどういったところだと考えられていますか?

木ノ下裕一:前半は、なぜ源氏と平家が争うことになったのかをダイジェストで見せているのですが、その部分が結構大事なんです。なぜ源平が争っているのか、その歴史的な前提は歌舞伎を観ているだけでは解らないですよね。そのシーンがあることで、源平の争乱は、実は天皇の座をめぐっての覇権争いだったんだなということが解るんです。

このシーンがあることで、「義経千本桜」の見え方が変わると言っていただけることも多くて嬉しいんですが、安徳天皇が背負っているものとか、義経の来歴とか、江戸時代の人々の中では一般常識だった通俗的な歴史を一度おさらいしてから本編に入ることで、演目の見え方が深まるということはあると思います。

あと、天皇制にしても、繰り返される対立にしても、ここで描かれているものは現代まで繋がっていますよね。単に「古典の物語」ということで終わらせずに、そこで描かれているものは、この国が背負ってきたものでもあるし、私たちの現代と地続きのものでもある、そう感じていただけたら嬉しいです。

古典芸能というのは、一種の“アーカイブ”だと思っているんです。この国の歴史とか、その歴史の中で我々の先祖が考えてきたこととか、受けてきた悲しみとか、感覚とか、払ってきた犠牲とか……それらが、物語というカタチで残されているわけですよね。そういうものが冷凍保存されていると思っています。だから、ちゃんと解凍してあげれば、ご先祖の声とか、死んでしまった人たちの声が聴こえてくるはずなんです。そういうことを考えながら、今回の作品も作りました。

古典だけれども自分たちと関係の無い話ではないんだなと思ってもらえる作品になっていると思うので、そこが見どころかも!

■古典を翻訳というか、わかりやすくアップデートする時に、気をつけていることはありますか?

木ノ下裕一:解りやすくするのが目的ではないんです。でも、気をつけているということであれば、それはきちんと本を読んで考えるということかな。ちゃんと古典を見て、台本をみて、自分の理解を深めていくということを大事にしているかもしれません。

あと、いつも考えているのは、その演目の初演当時の感動とか衝撃とか、当時のお客さんの“体感”みたいなものを、復元したいと思いながら作っています。「義経千本桜」を初めて観た江戸中期のお客さんはどういうショックを受けたのか、それを現代で復元したらどうなるかというのを、やりたいですね。でも、現代人と江戸の人々とでは、言葉も常識も前提も死生観も異なるから、原作を一言一句変えずにやると、かえって復元にならない。ある時は、補完したり、言い換えたり、補助線を引いたりしないと、初演当時の観客の体感を復元できませんよね。

■確かに歌舞伎は江戸時代でいうと現代のドラマみたいなものですよね。

木ノ下裕一:そうなんです。今となっては歌舞伎は古典芸能と呼ばれていますが、当時はそれが最先端の演劇だったわけですよね。
例えば、鶴屋南北の「四谷怪談」も現代の僕たちからみると古典だけど、当時の人からするとシーンによっては巷の若者言葉くらいの超現代語で話されている。同時に、当時としてもかなりクラシカルな時代がかった言葉も混在します。役の身分や立場によって書き分けられているんですね。それらの言葉の階層性を現代に復元しようとしたら、やっぱり現代語に翻訳する部分が必要になってきます。

 

現代とは全く異なるドラマのロジックが、新鮮だった——
歌舞伎を理解しようとしないで観てみるのも、
楽しみ方のひとつ

 

■なるほど。本来の歌舞伎と観客の関係性を、現代にスライドさせたような形にしたいという感じなのですね。
木ノ下さんの感じる歌舞伎のおもしろさも聞きたいですが、そもそもなんでそんなに好きになったんですか?

木ノ下裕一:面白さというのもいろいろあるし、作品によっても、また受け取る人によってもちがうでしょうけど。僕が最初に観たのは「義経千本桜」の「鮓屋」という演目でした。その時に感動したのはドラマの面白さだったんです。「鮓屋」という演目は、“いがみの権太”という不良青年がいて、その青年がいつのまにか改心していて、自分の子供と妻を恩人のために犠牲にするという芝居ですけど、あれっていつのまにか改心してるんですよ。
一回出てきて、引っ込んで、再登場の時にはもうイイ奴になっている。あとになって、多少台詞では説明されるんですけど、自分たちがこれまで観てきたテレビドラマや漫画だと、その改心するきっかけや瞬間が重要で、物語の山場になるはずなのに「鮓屋」はその瞬間を全く描かない。さらに、女房と子供に縄をかけるシーンも絶対重要な筈なのに、そこもやらない。やっていることと言えば、誤解されて親に刺されてすごく苦しみながら、改心のいきさつをめっちゃ喋るみたいな。そういうところがこれまで自分が観てきたドラマのロジックとは全く違うロジックだった。しかもめちゃめちゃ説得力があるというか、あの熱量で死ぬ直前の権太を見ていると、なんかよかったなと思うし、解るなと思ってしまう。そこに歌舞伎の芸のスゴさを感じましたし、すごく衝撃的だった。それでハマったんです。それが中2の時でした。

■中2でそれが理解できるってすごいですね!

木ノ下裕一:それが、今思えばそうだったんだなという感じなんです。当時はそう言葉には出来なかった。あの時、なぜあんなに感動したのかというのを振り返って考えると、そういう事だったんだなと。
でも、歌舞伎の何を面白がるかというのは人それぞれなので、あまりストーリーを理解しようとか、無理に共感しようとか思わないほうがいいのかもしれません。観に行って解りたいと思ったら解らないことはたくさんあるので。だからストーリーが解らないなと思ったら、ひたすら俳優さんの洗練された足運びを追うとか、衣裳の美しさを見るとか、違う楽しみ方を探してもいいと思います。解る解らないや感動するしないにこだわらないほうが楽しめます。もちろん、先にあらすじを読んで行く方がいいし、予習をしていく方が絶対楽しいんですけど、解る解らないで測っちゃうと、視野が狭くなりますし、キャッチできる情報が減ってしまいますしね。

■そんな木ノ下さんが、創作で影響を受けられた方はどなたですか?

木ノ下裕一:たくさんいらっしゃいますが、ついぞ生前お会いする機会はなかったですが、桂米朝師匠が私の神様です。米朝師匠の何が好きかというか、伝承の途絶えた噺を復活させるその手腕というか、物語の組み立て方がすごく上手いんです。現代人に解るようになっているけど、解りやすくしているだけではないとか。今では上演されていないような演目でも、その物語の味みたいなものをちゃんと残そうとしている。そうは言いつつも解りづらい所は変えた方がいいとか。現代とは価値観もズレているからそこは現代の価値観に照らし合わせた方がいいとか、そういうバランス感覚が米朝師匠はすごいんです。相当計算してやられている。

■最後になりますが、いよいよこのツアーも最終の地、そして作品に縁のある土地でもあります。福岡・久留米での公演を迎えます。

木ノ下裕一:久留米は安徳伝説というか平家の落人伝説が残っている土地ですから、上演できるのが本当に楽しみです!以前一度、久留米にお邪魔したことがあるのですが、安徳帝を祀った久留米の水天宮があったり、知盛のお墓があったりしますよね。すごく感動したんです。安徳や平家の伝説をこれまで大切に保存してこられたということですもんね。

年代もですが、歌舞伎に詳しいとか詳しくないとか、世代とか性別とかに偏らないように間口の広い作品にしたいなと思いながら、毎回作っています。なので、どなたでも楽しんでいけるように間口を広くしてお待ちしています。
むしろ歌舞伎とか古典に苦手意識があるという方も楽しんでいただけると思いますので、ぜひ来ていただきたいですね。

以前ほどロビーでお喋りできないとか、まだまだ制限されていることも多いですが、生で舞台を体感するというのは、きっと格別なものがあると思います。生で見る芸術が足りていないなという方がいらっしゃったら、ぜひお越し頂きたいです。生で体感できる様々なことを取りそろえて上演していますので、ぜひお越しください。

 


木ノ下歌舞伎『義経千本桜ー渡海屋・大物浦ー』(2021) 撮影:bozzo

 

 

木ノ下歌舞伎『義経千本桜―渡海屋・大物浦―』

【久留米シティプラザ 久留米座】

2021年7月1日(木)18:30開演(開場18:00)
料金/一般:3,500円、U25(25歳以下):2,500円、高校生以下:1,000円(全席指定)
作/竹田出雲、三好松洛、並木千柳
監修・補綴/木ノ下裕一
演出/多田淳之介[東京デスロック]
出演/佐藤誠、大川潤子、立蔵葉子
夏目慎也、武谷公雄、佐山和泉、山本雅幸
三島景太、大石将弘
問合せ/木ノ下歌舞伎 TEL 075-285-2485  E-mail: info@kinoshita-kabuki.org

※未就学児童のご入場はお断りします
※U25、高校生以下チケットは枚数限定、入場時要証明書提示
※車椅子でご来場の方は事前に久留米シティプラザまでお問い合わせ下さい
※感染症対策のため、当日座席の移動をお願いする場合がございます

 

木ノ下歌舞伎 オフィシャルHP
https://kinoshita-kabuki.org/

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