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左・小野寺修二/右・藤田桃子

2006年に活動を休止した、パフォーマンスシアター「水と油」の小野寺修二が、ソロユニット「カンパニー・デラシネラ」として福岡に帰って来る。今回は北九州を代表する作家、松本清張の「点と線」を舞台作品として再構築。これまでにない「点と線」の世界観を作り上げます。舞台美術はこの作品をどうしても日本で舞台化したいと切望したニコラ・ビュフ。大胆さと繊細さを併せ持つ小野寺修二の作・演出×ニコラ・ビュフが作る先鋭の舞台美術により、演劇・ダンス・パフォーマンスの枠を軽々と飛び越えた作品となった。「点と線」が持つ“偽りの真実”をどう描いていくのか、どう作り上げていったのか、根掘り葉掘り、話を聞いてみた。これを読んだら、新しい「点と線」の世界を観られずにはいられないはず!公演は12月12日(日)北九州芸術劇場。お見逃しなく!


■小野寺さんの作品を観ていると、物語がとてもよく見える舞台だなと感じるんですが、今回の様に原作がある作品をパフォーマンスの作品として作られる時ってどういう風に構築して行かれるんですか?

小野寺
原作があるものとないものとでは、作り方が違うんですね。「水と油」の時からそうだったんですが、原作が無い作品では、先に外枠を決めてそれを元に稽古をやりながら出てくるピースを集めて行くんです。そのピースの強度はもちろんのこと、繋ぎ部分が勝負なんですよ。それを繋げて行くうちになんとなくストーリーというか、着地点が見えてくるんです。簡単に言うと最初と最後を決めて、その間にシーンごとの着地点を作っていき、繋げるというのが当時の作り方でした。その延長で作ったのが、今夏パルコ劇場で公演した「空白に落ちた男」です。
最初からストーリーをつないで行こうという気はなくて、ちょっとしたシチュエーションや、ふとしたきっかけから自分の興味を探っていくんです。その作業はとても意味があって、僕の場合は、その時の自分の状態にもよります。周りの環境とこんな風にやりたいと思っていること、読んでいた本、その時見ていた映像だったり、そういうものに知らず知らず刺激を受けていると思います。それでその時にやりたいことのピースを少しずつ作るんです。それを1つの作品に仕上げるための外枠作りは人知れずやっています(笑)

藤田
そこが小野寺さんの作品のスリリングなところですね。私は「水と油」時代からずっと一緒にやっているんですけど、そういうひとつひとつのシーンが最後に組み上がる妙、みたいなものがありますね。

小野寺
実は原作が無い作品でも、僕の中ではこんな物語にしようっていうのはずっと考えているんです。そこにキャストや小道具なども含めて、当て込んで行く感じですね。役者さんにもじわっと、こんな役はどう?って聞いたり(笑)そこで「いいね!」って役者さんが言ってくれたら、じゃ、この役はあなたね、という感じで役どころも決めて行く。役者のモチベーションはすごく大事にしますね。好きでもつまんなくても何でも器用にやっちゃう役者さんよりも、その役どころを演じることを楽しんでくれるほうがいいですし。でもがっつり役作りをされても困るので(笑)その役の核の部分を共有することにしているんです。そこから僕が作りたい作品の世界観にじんわり近づけて行くのが原作が無いときの作品の作り方。今回の「点と線」のように原作がある場合は、最初に太い軸があるので、これをどうやって解体するかっていうのが大事になってきますね。創造の作品の場合は、ピースを作って幹を太くしていく感じだったんですけど、これはまず幹があって、それをまず立ち上げないとピースが作れないんですよ。ピースの作り方は、これまで10年以上やってきているので、大まかな方向性や嗜好というものがあります。でも幹の部分があまりにも強固で、それが説明の為の構造(ジェスチャー)になってしまうとダメですけどね。特に今回の「点と線」は名作として知られているので「こういう物語でしょ?」とか、「安田はこういう人でしょ?」というような、観客の期待度をどこまで僕が拾うかを突き詰めて考える。そういう部分はゼロからの創作にはない面白い作業ですね。何がしたいか、どうしたらいいのかというのを自分に問う感じなので、それをどう受け止めたらいいのか?という作業はすごく楽しいですね。
そういう時に役者さんたちが原作に対する色んな解釈を僕に言ってくれるんですが、僕にとってとても大事なことです。それがこのカンパニーではとてもスムーズにやれていると思います。原作がある作品は向かうべき位置がそれぞれにちゃんと見えていて、原作の壊し方にしても役者それぞれの解釈があるので僕自身が、気づかされることもたくさんあるんです。その作業は面白いな、と思いますね。

■この作品は再演ですが、以前と変えてしまう部分はあるんですか?

小野寺
実は前回は、この作品を松本清張さんの遺族というか身近な人たちに向けて作った気がするんです。生誕100周年ということもあったし、多くの方々がこの作品を愛していらっしゃるんだなと感じたんです。それを生半可な気持ちで壊さないでっていう気持ちもすごく伝わって来たんです。だからこそ、原作の言葉であるとか、松本清張さんがやろうと思っていたテーマみたいなことに対しては、新しい解釈というのはせずにやりたいと。原作を知らない人が観ても物語がわかるという部分に重点をおいて作ったんです。原作の台詞もたくさん使っていたんですけど、本当にそこまで言葉が必要か、というのはもう一度検証してみようと思いますね。初演の時に感じていた作品に対する純粋な気持ちや、本当はもっと自由に壊せるんじゃないかという気持ち、でも松本清張さんの作品はそんなに簡単には壊れないんだなっていうのは、初演をやったからこそ見えたことなので、今回は少し新しいチャレンジができると思いますね。物語を説明する為の説明という部分を思い切って無くしてしまうこともできるのかな?という部分は、今回のチャレンジになると思いますね。

■原作の読者が感じている松本清張さんの作品の軸は、結構太い軸だと思うんですが、その軸を完全に壊さずに新しくするというのは難しくないですか?

小野寺
それはさっきのオリジナル作品の作り方に近いんです。物語を作るといってもわかりやすくしすぎると、鼻白むんですよ。だからどこまで物語の核心を隠せるか、という作業、寸止めの美学みたいなことなんですけど、ここまで出したら後はお客さんが想像してくれるんじゃない?みたいな部分やっぱりその作品の肝になるんですね。あと原作を読んでない人と読んでいる人との差みたいなものもあって、読んでない人でもそこで寸止めさせて「おお!」って思えるのか、っていうところの匙加減はとても考えているんです。それと松本清張さんは、その当時、衝撃的だったこととか、当たり前じゃないと思われていたことに、どんどん切り込んで行くような本を書かれていた方だと思うんですが、その切り込んで行った当時の“新しさ”や“斬新さ”が、今の時代では違っていたりするんです。その辺をどう表現していくかという課題もありました。でも僕自身が松本清張さんの作品の何に惹かれているのかと考えると、リズムなんですよ。物語のテンポがいいのと疾走感があるというのが、内容よりも松本清張の作品を読んじゃうポイントなんだなとすると、まあ汚職を糾弾する気持ちは少ないかなって(笑)

■松本清張の別の作品をまたやってみたいと思われますか?

小野寺
「点と線」という作品は自分の中で完結しているんですけど、また別の作品もやりたいですね。巨匠と言われている作家と向き合えるチャンスって、本を読むということが全てなんですけど、特に創作という作業をさせてもらっている時に、真っ向から原作と向けかい合えることもそんなにないので、また、松本清張さんの本を読んで悩む、という作業はしてみたいなと思いますね。

■その小野寺さんがおっしゃっている作品のリズム感ってすごく共感できます!

小野寺
そうでしょ。ワクワクしちゃうんですよね。あの疾走感とか。

■だからこそ、小野寺さんの「点と線」にはすごく興味がありますね。テレビや映画ではない三次元の作品をどんな形に作り上げて行かれているのか楽しみです。

小野寺
一番いいチャレンジだったなと思えたのは、松本清張さんの作品をダンスでやるって無理があるな、と思ったことなんですね。だからこそ作品に真っ向から向かいたいと思うし、やるならホントに松本清張さんに見ていただきたいし、その解釈間違ってるよって言われたい(笑)彼は言葉の人なので、そこに関しては言葉を使わない自分たちがチャレンジするには、いい感じなんです。それと、僕自身「生と死」をテーマにした作品が多いんです。「変わらぬもの」としてそういうものを扱っちゃうんですよね。普遍的というか絶対に変化のないものという意味で、生死を題材にしちゃうんですけど、そういう部分は松本清張さんの作品に影響を受けているのかなとも思いますね。短篇が大好きなんですが、大体物語の最後は、そういう部分に切り込んで行くし、やっぱり物語の中で人は死んじゃうし(笑)そういう部分はとても理解できる。そういう意味ではとてもリスペクトしている作家さんですね。

■「点と線」の作品のことを小野寺さんはポップな作品だとおっしゃっていましたが、私も言葉のリズムがテンポよく感じられるので、すごくわかる気がしたんです。

小野寺
そうなんですよ。すごくポップなんですよ。前回は遺族の方にも観ていただいて、喜んでいただけたのがすごく嬉しくて、変に抽象やイメージに逃げないでよかったと思いました。言葉の持つポップ感であり、小説自体が持つ疾走感みたいなものが、全く古ぼけていない。だからこそ、いつもは台詞を全く使わない僕が、今回は台詞をたくさん使っているんです。その時代ならではの台詞が少し面白く感じちゃったりしたので、そういうものを織り込んで行くとやっぱりポップな作品になってしまうんですよね。昔の日本の感じがうまく表現できていると思うので、こういう作品こそ海外でやりたいんですよ。日本人が日本文学を改めてやった作品というのを、見せに行く。しかも日本語でやる。観ていただくとわかると思うんですけど、そんなに言葉がフックにはなってないので、動きを観ちゃうと思うんです。それは作品の在り方としては面白いなと思っていますね。

■松本清張の作品に「ズルい人」って必ずでてくるじゃないですか。個人的にはああいう人物像を物語の中に登場させちゃうのが好きなんですけど、それをダンスでどんな風に表現されるのかも楽しみなんです。

小野寺
僕もそういう人間っぽい人って大好きなんですよ。ズルかったり、器が小さかったり(笑)最近は作品の中で「人」を描きたいと考えているんですね。その中でも僕が描きたい人間と言うのは、わかりやすい暴力的な人や、ハッピーな人とかではなく、人間の些細な部分。それこそ、ズルさや小ささみたいなものを描きたいですね。例えば暴力や戦争や宗教のような人の思想みたいなリアルよりは、もっとぐっと人間に寄ったリアルを突き詰めたい。
ただ作品で嘘はつきたくないんです。表現を豊かにするために出来るだけ身体は鍛えようとか、心が動くところではちゃんと動こうとか、作品に対してはいつも嘘のない真摯な態度でいようと思いますね。役者さんでも言葉は出るけど、それに身体が反応していないことが意外と多いんですよ。言葉よりも先に身体が動くことって、普通の生活の中にもあると思うんです。そういう心に沿った動きがある作品作りをしていきたいですね。ふとした「動き」を作品として見せられるように、でもそこには嘘のないように作っていきたいですね。人って日常でも心の動きを悟られないように、わざと動きを隠したりするでしょ。でもそれをあえて舞台で表現するって、難しいんですね。だからこそそういった心の動きを身体で表現することを丁寧にやっていきたいですね。

■この作品を作る時に一番気をつけられたことってどんなことですか?

小野寺
それは本よりも面白いことってなんだろうなということですね。それはすごく考えました。「読んだらわかるじゃない」というものを、あえて舞台にするんですよ。色々方法はあると思うんですけど、本を読むことよりも面白くないんだとしたら、やる意味はあんまりないなと思ったんですね。「点と線」は、以前に北野武さんが主演されてテレビドラマになりましたよね。あんな風に作品をリアルに映像化したものがあったら、あのテレビにはかなわない。お金の掛け方もそうですし、ちゃんと香椎の浜辺や青函連絡船が出て来たりするものには敵わないですよ。そうすると舞台では、もっと違うアプローチでやらないといけないし、でもそれは絶対やれると思ったんですよ。それが今回の作品には充分に出ていると思いますので、一体僕がどんな手法を使って「点と線」を作り上げたのか、この作品によって僕たちの新しい可能性を感じられた作品でもあるので、ぜひ観ていただきたいですね。

 

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カンパニーデラシネラ 「点と線」

■公演日/12月12日(日)17:00
■原作/松本清張
■作・演出/小野寺修二 ■美術/ニコラ・ビュフ
■出演/佐藤亮介、鈴木美奈子、関 寛之、藤田桃子、森川弘和、小野寺修二
■料金/3,500円 学生(大学生以下*要学生証提示)2,000円 ※当日各500円増 (全席指定)
〈チケットぴあ Pコード〉401-987
〈ローソンチケット Lコード〉87945
イープラス
 北九州芸術劇場プレイガイド(店頭販売のみ)
(財)北九州市芸術文化振興財団(9:00〜17:00、土日祝休み)
 ※未就学児童のご入場はお断り致します。