chelfitsch”Five Days in March”2006 Toru Yokota

チェルフィッチュ主宰・岡田利規氏インタビュー

2004年の初演以来、今回で100回公演を迎えるチェルフィッチュ「三月の5日間」。その記念すべき公演が熊本県の早川倉庫にて行われます。震災以降、熊本県に移住し作品を創り続けている岡田利規に、約7年間公演し続けている本作のこと、彼が今、考える演劇ひいては文化芸術とは、そして震災以降に変化した自身の創作に対する考え方など、忌憚なく答えていただきました。

本誌を発行している私個人としても、とても興味深い答えが返ってきましたので、岡田氏の言葉のままを掲載いたします。やはり熊本公演を観に行くべきだと改めて感じたインタビューです。ちょっと長いですが、最後まで読んでみてください。


撮影:Nobutaka Sato
チェルフィッチュ主宰/岡田利規

 

■2004年に初演のこの作品が、これほど長く続けることになることは岡田さんご自身では考えていましたか?

いうまでもなく、まったく考えていませんでした。

■約7年間の公演の間に、初演時とはまた別の意味を持つ作品になっていると思いますが、初演時と今では作品に対する考え方は変わりましたか?

初演時においては、この作品は僕ができることのすべてを出し切ったものでした。けれども今の僕にとっては、そうではありません。僕は「三月の5日間」のようではない作品もいろいろと作れるようになりました。そして実際、作ってきました。「三月の5日間」よりも先に行くような作品を作ろうと常に思いながらこの七年間やってきた、ということろはあります。そしてその成果に、それなりに自信もあります。だから「三月の5日間」はもう僕にとってすでに過去のものだ、と言いたい気持ちが、僕にはあります。でも、必ずしもそうも言い切れないのです。この作品を見るたび、なんだかんだこれはおもしろいなあ、と思うのです。それは傍から見るとうぬぼれなのかもしれませんけれども、自分的には全然そうではありません。なぜなら過去の自分は、自分ではないからです。だから「三月の5日間」を見ておもしろいと思う、というのは、嫉妬とか焦りのようなものです。この作品の先を、と思いながらずっとやっているけれど、もしかしてちっとも先に行けてないのでは? という。でも、そんなことはない、と思えるときが大半ですし、僕としてはこの先も、新しいことをやりに行き続けるつもりですけれども。

■海外でも多く公演された作品ですが、日本で上演することと海外で上演した時の観客の感じ方に違いがあると思われましたか?

海外公演を行うようになったことで自分が獲得できたもののひとつは、日本の観客と海外の観客の違い、というような考え方を自分がしなくなった、ということです。違い、というものにはいくつものスケールがあって、そのいちばん小さいのは、個人、ですから、日本人でも、いろいろな感じ方をする人がいるわけです。逆に、人間なんだからみんな戦争はイヤだしセックスは好きだし、みたいなスケールだってある、とも言える。その中間に、文化というのもありますよね。

■2007年の福岡公演を拝見させていただきました。東京ではない地方の反応はどのように感じ取られましたか?

2007年の福岡公演では、自分たちって「東京」からきた劇団なんだなあ、という印象をうっすらと持った、という記憶があります。東京からきたモノ、として見られているような気がしたんです。たくさんの人が見に来てくれて、笑いもたくさん起こって、とても喜んでもらえてもちろん嬉しかったのですが、少しだけ複雑な気持ちにもなりました。東京から来たから有り難がられている、というな印象を、持ってしまったからです。もしもその印象が間違ってないのだとしたら、そんなふうに思わないでもらえたらなあ、と思いました。

■今回の熊本公演は100回記念公演ということですが、100回目を迎えるにあたって、今、岡田さんが感じている地方(東京、神奈川、埼玉などの関東圏以外で)で演劇を作って行くことについて、どんな感覚をお持ちでしょうか?

東京が中心、という感じがもっともっと減ればいいのに、できればそんなものなくなっちゃえばいいのに、と強く思ってます。正直に言いますがこの思いを強く持つようになったのは震災の影響によってです。演劇を作る、ということに限らず、もっと普通に、東京を気にしないで生きるということができればいいなあと思います。もちろんそれは現状、とても難しいのですが、難しい難しいと言っているばかりでも悔しいですよね。

■熊本県に移住されてから、岡田さん自身の作品作りに対する考え方に変化はありましたか?

移住してというより、震災を機に、それなりに変わりました。それについて、このあいだ、Theatre der Zeit というドイツの演劇雑誌に依頼されて寄稿したエッセイがあります。(以下、原文まま)

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芸術は社会に必要である、と言われる。でもそれは本当なのか? 震災が起こる以前の僕は、芸術が社会に必要だなんて、まるきり信じられなかった。

さて、そのように書くということは、つまるところ、震災を経て現在の僕は、芸術の必要性を信じているということだろうか? 然り。というわけで僕はこの場を借りて、僕に起こったそのなかなかにドラスティックな変化の経緯を書いてみたい。もっとも、現在でも芸術の必要性を心底から絶対的に信じているというわけじゃない。けれども、以前に較べてその力を信じる度合いが格段に上がったことは、紛れもない事実だ。

そもそも、芸術が社会に必要なのかどうか、という問題をどうして僕が考えていたのだろう? 何も好きで考えていたわけじゃない。僕が携わる芸術形式である演劇が、日本では近年、公共との関わりを強めているせいで、僕はおのずとそうした問題に引き寄せられてしまったのだと言える。一九九〇年代から、演劇というジャンルに対する公的な助成金制度が充実しはじめた。じゅうぶんに充実しているか? といえば必ずしもそうとは言えない。が、それまで演劇はそんなサポートは全然受けないでやっていたのだ。だからこれは良くも悪くも、とても大きな変化だった。

くわえて昨年、つまり二〇一〇年あたりから、劇場法という新しい法律の制定に関する議論が活発化した。劇場法というのは、一言でいうならば、公共劇場を現状よりもさらに充実させていき、公共劇場を中心にして舞台芸術を振興させていこうとするものである。これが実現すると、多くの演出家・振付家が、公共劇場の芸術監督というポジションに就くことになる。そうした将来を踏まえた、若手のアーティストたちを対象にした勉強会なども開かれた。

こうした流れの中で、公共劇場とはいったいどういったものであるべきなのか? とか、演劇の公共性とは? と言ったことを、僕としても考えないわけにいかなかったのだ。

芸術に、演劇に、公共性があると言えるのはなぜなのか? それを納得したくて、たとえばここで付け焼き刃的にハーバーマスを読んでみたりもしたんだけれども、いかんせんそこに書いてあるのはヨーロッパの事例である。市民社会が成立している、ということを前提にした、ヨーロッパにおける公共性の成立の歴史が書いてある。ところが日本には、市民社会はない(たぶん、ないと言ってしまっていいんだと思う。だって、たとえば市民革命もなかったのだから)。だとすると、そもそもの前提が異なって、参考にならない、ということになる。

それでも日本において芸術に、演劇に、公共性があると言えるのか? これはやっぱり、言えない、というのが正直なところなんじゃないか?

むろん僕自身は、芸術を愛している。演劇を愛している。というよりそれは、僕にとって必需品である。しかし社会一般においてはどうか? 日本の社会にとって芸術が、中でもここでは演劇が、必要であると言える根拠は何か? それを説明する言葉は、いろいろと存在する。そして僕個人としては、それらの説明のほとんどに首肯できる。でも、そうした説明のほとんどは、結局のことろ、演劇に従事する人たちによるもので、かつそれに頷いている僕にしたって、演劇に従事する者の一人だ。演劇の必要性なり公共性を唱えるロジックが、自分たちの存在意義を正当化する屁理屈ではないと、どうして言えるのか?

三月十一日に地震が起き、それに引き続いて津波が起き、原子力発電所の冷却装置が停まり、原子炉が水蒸気爆発を起こし、放射能が漏洩し、政府の機能不全や、電力会社による原発のメルトダウンをはじめとする無数の事実隠蔽や致命的な事後報告が遅れて露呈した。嘆きや憤りの対象になりうるものが、主要なものだけでもこんなに多岐に渡ることになるなんて。天災なのか人災なのかがこんなにもごっちゃな事態になるなんて。この惨禍の総体を、そのすべてのきっかけであることだけは確かだとしても、「地震」という言葉に代表させるのが果たして適切なことなのか、それさえ僕にはよく分からない。盲目の僧たちが象のそれぞれ異なる部位を撫でて、象とはどのような動物か、ばらばらな理解の仕方をする。そういう有名な中国の故事があるけれど、まさにそれが今、僕たちの社会では起こっている。

こんな中で、これはおそらく他の多くの演劇に携わる人と同じだと思うのだが、僕もこういったことを考えた。今、演劇に何ができるのだろうか? と。震災発生の直後の時期は、特にそうだった。けれども僕は、比較的すぐに、そんなものはさしあたって何もない、と結論づけた。被災した人々に今すぐ必要なのは、水や食べ物や毛布であって、演劇ではない。それは、言うまでもないことだ。

だからといって僕は演劇の無力さに絶望したわけではなかった。自分でも不思議なくらい、そんな気持ちは全然起こらなかった。はじめに述べたとおり、それとは真逆のことが僕には起こった。震災前に僕が抱いていた芸術(僕にとって問題となるのは演劇)の必要性に対する疑いは今、ほとんど完全に消え去っている。現在の僕にとって、芸術が社会に必要であること、演劇が社会に必要であることは、明白な確信になった。

どうしてそんなことになったのだろうか? 僕の中で、以下のような認識が生まれ、それが徐々にしっかり育ってしまったからである。芸術は現実社会に対置される強い何かとなり得るものであり、そしてそういった対置物が社会には必要なのだ、こんなことになってしまった社会においてはなおさら必要だ。なぜならそうした対置物がなければ、人はこの現実だけがあり得べき唯一のものだと思うように、その思考を方向付けられてしまうからだ。

現実社会に対置される強い何か。それはたぶん、フィクションと言い換えるのがふさわしい。僕はいつのまにか、フィクションという概念を通して演劇のことを考えるようになっていた。これまでは、そんなふうに演劇を考えてきたことなんてなかった。それはひとつには、僕がフィクションというものに価値を見出していなかったからである。現実が「本当のこと」でフィクションは「嘘」で「作り事」である、というふうに理解していた。そして僕はただの「嘘」で「作り事」になんて、興味がなかった。意味があると思えなかった。でもそれは誤解だったと考えるようになったのだ。現実とは「本当のこと」ではない。それは現時点においてはさしあたって最有力なフィクションである、というにすぎない。そしてフィクションとはただの「嘘」ではないし「作り事」ではない。それは、潜性的な現実なのだ。だから強いフィクションは、現実をおびやかす。現実に取って代わる可能性を、常に突きつけているからだ。この現実はフィクションによって励まされる必要もあるが、僕はそれと同じくらいに、こんな現実はフィクションによっておびやかされなければいけない、というふうにも言いたい。

演劇という形式はフィクションをよくなし得るものだ。フィクションとは、物語というレイヤーにおけるものだけではない。上演の時間や空間によってもたらされる、体験というレイヤーにおけるフィクションも、それは作り出せる。どちらのフィクションも、この現実に対置され、それと拮抗できる。そして現実をおびやかすことができる。

そういったことが、僕にはようやく理解できたのだ。しかし、今回僕が得たこの認識というのは、あまりにも本質的なものである。このように書くからと言って、僕は、自分が本質を掴んだのであるなどと自慢したいわけでは毛頭なくて、むしろその反対の気持ちである。そんなにも当たり前のことに、僕は、これだけの悲惨な出来事を契機にしなければ、気が付くことができなかった。それはとても情けないことだと思ってる。しかしとにもかくにも、これが今年の三月十一日以降の僕に起こった変化である。

客観的に考えたら、これは奇妙な変化だと思う。こんなことが起こった後では、芸術の意義なんて信じられなくなるというほうが、一般的なような気がする。また、こんなことが起こったら、フィクションに価値を見出せなくなり、現実に直截に働きかけるようなことをしなければ意味がないというふうに考えるようになりそうなものだ、とも思う。しかし、なぜなのかはよく分からないのだが、ともかく僕の認識はこのように変化した。本質的な認識を得た気がする、とさきほど書いたけど、自信はない。単にひどく古くさい認識に当てられただけなんじゃないか、という気もする。今後の自分が作るものは、どうなってしまうのだろう? ただ古くさいだけのものを作るようになってしまうのではないか? という不安もなる。けれども、思い返してみれば、そういった不安に自分はもう割と慣れている。なぜなら、新しいことに試みようとするとき、僕はいつも、それが新しいことなのかどうかさえ分からないという状態の中で、それをやるからだ。そうした経験は、もう何度も味わっている。だから今回も、とりあえずフィクションという概念を中心にして演劇に取り組む、ということをやってみようと思う。それはとても古くて、同時にとても新しいことかもしれない。少なくとも、僕自身には新しいことだ。そしてフィクションの持ちうる現実をおびやかす力を強くするというのはどういうことなのか、自分自身の手で納得いくまで試してみたいと思う。

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■熊本公演は、照明も専用のものを使用せず、バンドの生演奏もあるそうですが、この場所でしかできない演出を考えていらしたらお聞かせください。

熊本公演の会場は早川倉庫といって、築百三十年の木造の倉庫でものすごくいい雰囲気です。ここで芝居やって、バンドの演奏も聞いて、会場ではおいしいご飯も出しますし、お酒も出しますし。楽しんでもらいたいです。

 

 

【公演情報】


【早川倉庫】熊本県熊本市万町2-4
■ 12 月9 日(金)19:30、21:30☆、10(土)19:30、11 日(日)14:00
※☆印は100 回公演記念パーティーです ※受付開始、開場ともに開演の1 時間前
■ 作・演出/岡田利規
■ 出演/山縣太一、松村翔子、武田力、青柳いづみ、渕野修平、鷲尾英彰、太田信吾
■ 演奏/サンガツ
■ 料金/(全席自由・入場整理番号付き)
[公演+パーティーセット券]※12/9(金)の公演のみ
前売券 3,000 円/当日券 3,500 円
※100 回公演記念パーティー参加込み+ケータリング/フード付き
[公演のみ]
前売り 2.000 円/当日2,500 円
・プリコグWEB ショップ http://precog.shop-pro.jp/(PC&携帯)
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