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振付・演出・出演の田村一行氏

麿赤兒が主宰する「大駱駝艦」の壺中天公演が、今月24日(水)、25日(木)にイムズホールで開催される。壺中天公演とは、大駱駝艦の麿赤兒以外のメンバーによって作られる作品。大駱駝艦のメソッドを使いながら、それぞれが感じたままを「舞踏」という表現方法で作り上げる作品は、作り手によって全く違った作品になるという。今回の『血』では、田村一行が作・演出を手掛け、人間の普遍的テーマでもある「血縁」や「血族」、ひいては、人間の根源をひも解いて行く物語。ちょっと強面に見える田村氏は、話を聞いてみるとなんとも気さくで熱い、素敵な人でした。
彼が創り出す世界は、ストイックで身体美が強調されるような「舞踏」ではなく、物語を身体だけで表現する、饒舌な身体表現の「舞踏」。本作について、「舞踏」という表現について、熱く語っていただきました!

■まずは、壺中天ってどういう意味なんですか?

僕らは稽古場の事を「壺中天」って呼んでるんです。大駱駝艦の麿赤兒さんがやる公演を「天賦典式」と銘打っているんですけど、麿さん以外のメンバーが壺中天で稽古して、壺中天で初演して作って行く公演を「壺中天公演」と読んでいて、2001年から始めて、もう40近い作品がありますね。

■今回の「血」というのは、血族とか血筋とか、そういうことなのかなと理解しているんですけど。

もろにそういうことをテーマにしてみたいなと思って作りましたね。自分の中に流れている血や遺伝子であったり、進化して来た過程であったり、人の形をしていたもっと前の祖先の血というものが、自分たちには確実に流れているなと思うと、すごく不思議な気持ちになるんです。ホントにそういう図鑑で見るような人類の祖先から今の自分に繋がっているんだって思った時に、そういう頃の人間まで作品として辿って行ってみたいなと。舞踏ってそもそも原始的というか、根源的な動きなんです。例えばホントに人が初めて火を見た時の驚きっていうのを、身振りや手振りでやってみると面白いんじゃないかというような単純な視点で踊りを作って行ったりするんです。自分が今、踊りをやっている、舞踏をやっていることで、どうしても避けて通れないテーマなんじゃないかと思いまして、それを今回ひとつの作品として作り上げて行こうと思ったんです。

■その壮大なテーマを1本の作品にしてしまうのに、どれくらい遡ったんですか?というのも、どういう思考でそういう作品を作り上げて行くのかが、とても興味があるんです。例えば言葉で説明する事は簡単ですが、それを身体表現として作り上げる時にどうやって作られるのか。

難しい反面、簡単でもあるんですよ。しかし、そこの塩梅というのが難しい。常に振りつける時にせめぎ合いというか闘いになってくるんですけど、それこそ、作品を客観視できるか?ということにもなってくると思うんです。例えば言葉でいうとすぐに伝わる事もあるんですけど、踊りが説明になっていっちゃうと面白くないんですよ。かといって、観ているお客様に対して何も伝わらなかったら、何をやっているのか全然わからなくなってしまうので、その辺の塩梅をさぐるために、どこまでどう演出するかとか、象徴的にどういう振りをいれるかというのは常に考えていますね。実は肉体がもっている情報量ってものすごく多いんですよ。僕の母親が秋田出身で、父親が東京出身で、僕は東京で育って、ということさえも、今の自分を象っているものだと思うんです。生きた時代の文化や育った環境や風土が、今の自分を作っているんですよ。もちろんそれも「血」ですよね。血が大きく作り上げているんですけど、それを説明しなくても僕が舞台に立った時、それも白塗りで裸で、とやればやるほど尚更、滲み出る個性みたいなものが際立つんじゃないかと。だからそういうところは説明するよりも、肉体がそこに現れた時の力強さが表現するものだと思うんです。例えば表現して何か伝えようと思った時に、過剰にやればやるほど、どこか伝わりにくくなる部分もあるんです。でもそういう事じゃなくて、あの人悲しいだろうけど、何かちょっと笑ってるように見えるとか。そういう時に、ただそこに肉体だけがあって、その感情がダイレクトに自分に帰ってくるような瞬間が生まれる。作品の軸として、トータルで見た時に「血」っていうことをやっていたな、と感じるようなモチーフをイメージして作ったので、それは感じてもらえると思います。なので、あまり考えずに目の前で起きている踊りを見ていただいて、何か感じてもらえればと思いますね。

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■とても個人的な意見なんですけど、私自身は「舞踏」や「ダンス」というものの見方がよくわからなかったんです。ですが、とあるカンパニーの作品を観た時に、ある一つの“動き”をきっかけに、その向こうにある世界が見えたような気がした時があったんですよ。田村さんのお話を聞いているとそういう、感情のフックのようなものが、この作品にはあるんじゃないかと感じたんですが、いかがでしょう?

変な例えかもしれませんが、「幸せって何ですか?」っていう質問は、答えがすごく難しいじゃないですか。幸せなんて人それぞれに感じる事だし。「舞踏」ってそれに似てる気がするんですよ。考えてもあまり答えには行き着かないですし、実際、コンテンポラリーと舞踏の明確な違いは何ですか?って聞かれると、見た目とかだけで説明することはできますが、実はその辺の境はあまりないんじゃないかと思うんです。僕は色んな方の作品に出演させていただいていますが、マイムにも演劇にも、僕がやっている舞踏につながる部分を感じる事もありますし。だからこそ、僕の表現方法は舞踏なんですよ。でもあえて「舞踏」をやろうとした時に、それは舞踏ではなくなると思うんです。「血」という作品を作る時に、身体を動かす方法としては、大駱駝艦の考え方や方法論でやりますけど、その結果、君のやっている事は舞踏じゃないと言われたとしてもしょうがないですね(笑)じゃあ、本物の舞踏ってなんですか?ってことになってくるようにも思うんです。だから「舞踏」であるというのは、結果だなと思いますし、食べて美味しけりゃいいじゃんって気もするんです。料理方法を探らないでも、結果美味しい料理に仕上がったらいいんじゃないかと。だから舞台を観終わった感想が「血」を感じるものだったのであれば、どういう見方をしてもいいと思うんです。そのためのたくさんのフックはきちんと用意していますね。

■「血」という作品を作って行く上で、改めて気づいたことがありますか?シノプシスを作った段階でイメージしていた「血」と作る過程で動いてみたからこそ、生まれて来た新しい「血」というものがありましたか?

作品の最初で、自分の体を触ってみて、自分に気づくという振付けがあるんですけど、これは作品全体を通してですが、身体の動きひとつひとつを取っても、自分と向き合う事がすごく多かったので、この作品を作っていること自体がそもそも僕の「血」なんだと改めて感じましたね。舞踏をやっている自分も、他の演劇作品に出演している自分も、普段の生活をしている自分も、とにかく全てがここに集約されているんだと。作品を構想している段階では、血族的な目にみえない「血」を意識はしていたんですが、今ここで踊っている自分そのものなんだと感じさせられることになった作品ですね。それは再演を繰り返したからこそ、見えて来た部分でもあります。

■作品を通して、自分を再認識したということですか?ということは、田村一行さんという人間そのものが投影された作品なんですね。

そういう作品になっていると思いたいというか(笑)そうなりましたね、結果やっぱり。

■それは出演者の方々も同じですよね。田村さんの「血」を辿りながら、自分自身の「血」について意識せざるを得ない作品になっているんじゃないですか?

そうですね。だからそれぞれの背負っている「血」を意識していると思いますね。

■観客も然りですよね。観てくれている人それぞれに「血」はあって、人生がある訳で、観た人の分だけの物語があるということなんですね。

そうなんです!だから、本当に自由に観ていただきたいですね。

■そういえばさっきの話に戻りますけど、立っているだけでその人の全てだということをおっしゃられていましたが、
海外で日本人がどんなに外国の人のファッションやセンスを真似ていても、すぐに日本人だと解るっていう話を聞いた事があるんです。それは、歩き方や立ち方、椅子の座り方などが、やはり日本での生活様式に基づいている“動き”なので、どんなに海外のファッションを真似ても、その人の立っている姿だけで日本人だと解ってしまうっていうことらしいんですね。それを聞いてからは、私自身、作品の見方が少し変わって来たんです。特に舞踏やダンスやマイムといった身体表現というのは言葉がないじゃないですか。ホントにそれを聞いた時は「そういう風に観てもいいんだ」って思ったら、これまでちょっと苦手だったダンスや舞踏が少し楽しく思えて来たんですよ。そういう気持ちで、というか、そいうい前知識が少しあるだけで、作品の面白さが、自分なりに解釈できると思うんです。だからこの「血」という作品も、そんなことも感じつつ、観てみたいなと思いました。これまでの田村さんのお話を聞いてて感じましたね。

「舞踏」っていうだけで、ちょっと取っつき難い印象があるかもしれませんが、実際観てみると、そんなにお客さんと変わらない世代の人たちが、実は同じような事を考えているんだけど、少し表現方法が僕らは違っているだけなんだと思ってもらえるとうれしいですね。
ただ立っている姿であったり、裸体での動きであったり、そういう部分に「血」という作品を感じてもらえる作品ですので、あまり気構えせず自由に観て自由に感じて欲しいです。敢えて人生の難題に挑んだ作品ですので、ぜひ観に来てください!

 

 

【イムズホール】

イムズパフォーミングアーツシリーズ2011 vol.3
2010福岡舞台芸術シリーズ
大駱駝艦 壺中天公演 「血」 福岡公演

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撮影:松田純一

■公演日/3月24日(木)19:00、25日(金)19:00
■振付・演出・出演/田村一行
■監修/麿赤兒
■出演/松田篤史、塩谷智司、奥山ばらば、渡邉達也、湯山大一郎、若羽幸平、小田直哉
■料金/3,000円
※当日各500円増

(財)福岡市文化芸術振興財団 TEL 092-263-6265
〈チケットぴあ Pコード〉409-596
〈ローソンチケット Lコード〉 85758
メガチケットアートリエ TEL 092-281-0103(店頭販売のみ 10:00~20:00)